「チャロの囀り」 キャスト・監督
ロングインタビュー

Text by Erika Kirimoto
Photo by Taichi Nagaoka


すべては「映像小屋」からはじまった──

コロナ禍真っ只中の2020年5月、熱く小さなコミュニティが静かに立ち上がった。俳優からクリエイターまで、映像制作に纏わる人たちが集う場所、「映像小屋」だ。
発起人は、制作に対して並々ならぬ思いを持つ村上岳( @gaku_vg )氏。約2年間運営し数多くの自主制作作品を創出、在籍人数は最終的に500名弱まで駆け上った。そんな彼の熱量に最も感銘を受けたのが『チャロの囀り』監督・脚本を務めた末吉ノブ氏。メインキャストの卯ノ原圭吾・東宮綾音・芽衣子・米元信太郎の4名、また、本インタビューの著者である私も「映像小屋」メンバーだった。奇しくも点と点のつながりが線になるまでの過程を結ぶこととなった『チャロの囀り』 ──2023年11月・都内某所、久しぶりに監督とメインキャストが揃い、約2年前の撮影時の思い出話しに花を咲かせた。




──まずは、ノブさんのキャリアからお伺いさせてください。長らくMV監督に従事されているかと思いますが、映像小屋で非常に精力的に活動されていたお一人かと思います。ノブさんの原動力は、一体どこから湧き出ていたのでしょうか。


末吉:もともと映画監督になりたかったんですよ、小さい頃から。映画監督としてやりたいけど、いわゆる助監督から叩き上げでやっていくのは自分の性格的に無理だってわかってたから、同業種から映画関連の仕事につけないかと目論んでいたんです。ちょうどその頃、岩井俊二が『Love Letter』や『スワロウテイル』を撮ってて、MVありじゃんと思って。自身がバンドやってたことや音楽好きなことが功を奏して、MV監督になりました。
その後、どうもMVでやりつくした感があって、次どうするというタイミングでのコロナ。仕事が全部なくなって、なにか撮らないとなと思っていたところで村上岳と出会ったんですよね。そこから映像小屋がはじまりました。
映像小屋には俳優がたくさんいて、もうなんでも撮れるなと。まずは短編からはじめて、意外と長編いけるかもと思って、長編一作目の「スタジオグレア」を撮って。100点ではないけどやれるなという自信につながりつつ、初めて芝居と向き合ってやっぱり甘かったなって思うこともたくさんあって。そんな壁にぶち当たりまくった中でも次の作品を撮りたいと思ったのが『チャロの囀り』でした。



──結果として、『チャロの囀り』が映像小屋最後の作品になって、ユーロスペース公開にまで至って。ラストに映像小屋のモーションロゴが出てくるのはなんとも感慨深いですよね。どのくらいの時期に撮影されたんですか?


末吉:2022年2月、北九州で一週間ほどかけて撮影しました。


──今回、脚本もノブさんが手掛けられていますが、ストーリーの着想は?


末吉:身近なテーマ且つローコストで撮れることを考えると、ラブストーリーだなと。ただ、よくあるラブストーリーだとつまらないので、なにかしらの”障害”はいれたかったんです。前作の「スタジオグレア」でも”身分の差”にフィーチャーしてましたし。
僕、80年代くらいのハリウッドの青春映画が好きなんですけど、高校を舞台として”お金持ちのイケメン”と”ちょっと貧乏な女の子”の組み合わせが多いんですよね。もちろん逆も然りで。たとえば貧乏な女の子がお金持ちのイケメンからパーティーに呼ばれて、彼サイドからは微妙な空気を出されたりするわけですよ。彼は気を遣って「こっちおいでよ」とか言うもんだから、彼サイドの悪いヤツが「お前らなにやってんだよ」とか言ってきて、次の日学校行ったら悪い噂が回ってる、みたいな。そういうのが結構好きで。
あと、80年代のアメリカと今の日本がちょっと似てるなって思うんですよ。昔の日本はそんなことなかったけど、今ってわりと格差というか、貧富の差は結構あるんじゃないのかなと思ってて。
実際、身近な知り合いに、出身地を異常に隠したがる人がいるんですよね。それこそ、入学式かなんかで写真を撮るときに、自宅の前じゃなくて隣の大きい家の前で撮ったりとか。そういうのってあるんだなって。


米元:世代もありますよね。そういう見え方や建前をすごく気にした世代ですよね。


末吉:僕が大阪の生野区ってとこの出身で、当時は何も思わなかったんですけど、上京してから出身地の話になったときに生野区って言ったらちょっと空気変わったり(笑)。そういう地方格差ってありますよね。
ちなみに隣に天王寺区っていうのがあって、そっちはめっちゃ高級住宅地なんですよ。でも生野区と天王区の距離感って環状線を越えてたかだか50メートルくらいで。


米元:まさにチャロでもそんな描写がありましたね。




──格差と言語を超えた愛、映画を通じてしっかり見て取れました。ちなみに、チャロの言語ってアドリブだったんですか?それとも台本に台詞として表現されていたのでしょうか?


末吉:チャロ語っていうのを五十音で作って、一度日本語として台詞に落とし込んだものをチャロ語にしました。逆にちゃんと決めたから圭吾は大変だっただろうなと。


卯ノ原:一時期流行語みたいになりましたよね。わかる人にしか伝わらない、ある種の手話的な(笑)。カタカナだから読むだけだと味気ないので、韓国語っぽく聞こえてもいいかなとイントネーションをつけてみたりしてました。


末吉:新造語っぽい感じで、という無理なオーダーをしてましたね(笑)




──卯ノ原さんとは思えない風貌も印象的でしたが、あの髭は……?役作りにもかなり打ち込まれたのではないでしょうか。


卯ノ原:もみあげは生えないので付け髭をつけて、その他は3ヶ月くらい伸ばしました。あと、襟足にはエクステをつけてました。
役作りで意識した点としては、毎晩夜に誰もいない公園を散歩するって決めてて。チャロの気持ちで歩いたらこの世界はどう見えるかな、と。住宅街に浮かぶ明かりを見たり、虫を見つけたりしたときに、はっと思えるなぁとか、ひとりでずっとやってましたね。日中は普通に僕として生きて。二足の草鞋ですね(笑)


──卯ノ原さんとは思えないと言いつつ、チャロに完全憑依されていました。


末吉:まぁ…いろいろあったんですけど(笑)、苦難を乗り越えた卯ノ原を撮りたかった、というのは大きいですね。東宮綾音はずっと撮りたいと思っていて、たまたまふたりとも映像小屋で過去に共演経験もあったので。
芽衣子は脚本を書きはじめたタイミングでもうお声がけしてました。ロックな姉ちゃんが似合いそうやな、と。米さんも早い段階で決まってて、ほぼあてがきです。



──見事に全員、ハマってました。


末吉:映像小屋外からキャスティングすることはまったく頭になかったですね。コロナ以降の自主制作作品において、僕の中での集大成にしたかったので。



「チャロの囀り」パンフレットへ続く

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